二声上げ、七ッ節
明治42年末の師匠会議以降、地元の追分界で唄い方の基本とされるようになった言葉に「二声(ふたこえ)上げ、七ッ節」というのがある。
これらは人によっては「七節七声、二子上げ」とも表現するが、いずれの場合も江差追分の本唄部分の七句
おしょォ、 たかしィま、 およびィも ないィが せめェて うたすゥつ いそやまァで
の各句を一息で、切らずに唄うこと、および各句の後半部にある生み字の部分を押しぎみに、あるいははね上げるように強調して唄うことをさしている。
二子上げといういい方は、地元では他にも沖揚音頭などにも用いられるが、その場合は網をたぐるために掛け声を繰り返す、その後の方にとくに力をいれて唄うことをさしているようである。
レコード吹込みがこの唄に与えた影響について一言しておきたい。
大正の中期以降、追分節がレコード化される機会が多くなってくると、78回転盤の片面約3分という時間の制約は、この唄の演唱形式に大きな変化をもたらすことになった。
一口でいえば、それまでの本唄と囃し言葉も何回も繰り返すという唄い方が廃って、「松前」の合の手に相当する部分を声ならしのような形で先に唄い、その後に間奏を入れて片面を終り、次いで本唄と合の手の後半部を、後唄という形で添えるという演唱形式が一般に定着したのである。