北辺に息づく人間賛歌 江差追分

  • 江差追分の由来
  • トピックス
  • 江差追分全国大会
  • 追分会各種申請書
  • 江差追分会
  • アクセスマップ

正調江差追分「ロゴマーク」使用申請はこちらをクリック

 

YOUTUE

 

江差追分物語

 

動画 江差追分物語

江差追分セミナー

江差追分会館

江差追分販売商品一覧

 

ふるさと納税

2022年12月26日 イベントNEWS
江差のクリエイター展のお知らせ

 

2022年04月05日 イベントNEWS
旧カメラのトミヤ私設カメラ博物館が移設

 

2022年04月05日 イベントNEWS
写真展「北の漁景」をまなびっくで開催

 

2021年10月01日 観光NEWS
国道229号線の一部(乙部町館浦-鳥山間)通行止及びバス運行遅延について

 

»»ニュース一覧はこちら
[前唄] 大島小島の間とる船は ヤンサノエー 江差通いか なつかしや 北山おろしで 行先くもる ネ 面かじたのむよ 船頭さん [本唄] かもめの鳴く音に ふとめをさまし あれがエゾ地の 山かいな [後唄] 沖でかもめの 鳴く声聞けば ネ 船のり稼業は やめられぬ

トップページ > 江差追分物語 > 平野源三郎

江差追分物語:平野源三郎

平野源三郎

hirano平野師は明治2年10月、木古内町下町の生まれ、14歳のとき、親戚筋に当たる江差の平野屋の養子となり、鴎島学校を優秀な成績で卒業したあと、家業の呉服行商に従事した。

平野師と追分節を最初に結びつけたのは、養母のリカ女であった。

元蔦屋の抱え芸妓であった彼女は、養子に迎えた源三郎が唄好きなことを知ると、新地の取締り役をつとめる小桝清兵衛の祖母に頼んで、それとなく追分を習うように仕向けたらしい。

追分を習うようになった平野師はたちまちのうちにまわりが目をみはるような上達をとげた。

そればかりでなく、後に伴奏者としてコンビを組むようになった小路豊太郎と共に尺八の演奏法も研究し、ついにはこれも修得して一家をなすに至った。

明治42年、自ら江差追分節研究会を興した師は、次いで明治44年9月、江差で行われた追分大会に優勝して、改めて地元の人々に第一人者としての貫禄をみせつけた。

そしてこのことがやがて当時の札幌の浅羽靖代議士に見出されて、上京することにつながって行くわけである。

↑ページの先頭に戻る

H・Kサービス~江差追分のCD制作・販売香澄kazumi公式サイト~江差追分を中心とした音楽活動江差観光コンベンション協会北海道江差町~追分流れるロマンの町

  • トップページ
  • 江差追分の由来
  • トピックス
  • 江差追分全国大会
  • 追分会各種申請書
  • 江差追分会
  • 江差追分物語
  • アクセスマップ
  • サイトマップ

江差追分のロゴ江差追分会
追分観光課 江差追分係

〒043-0034 北海道檜山郡江差町字中歌町193-3
TEL(0139)52-5555 / FAX(0139)52-5544

Copyright © 2013 ESASHI-OIWAKE All Rights Reserved.