四.江差追分と松前追歌
今日の江差追分と幾分、曲節の異る違う座敷唄系の追分節が松前町に伝承されており、これを松前追分と呼称している。古くは江差地方に唄われている追分節も、松前の国の追分節という意昧から、松前追分とか、「松前」などと一般的に呼称されていたのであった。
松前城
松前藩政期には和人地(態石から亀田まで)が松前地であり、藩内行政地名には福山という地名はあったが松前という地名は存在しなかった。戦後の町村統合によって新しい松前町が発足したものである。その意味で松前追分は古典追分の古称であって、松前町の追分という意味とは異質のものである。
松前追分として今日伝承されているものは、古典追分の一派である艶節の一系統が残り伝えられているもので、大方の追分節の曲調が統一されてしまった観のある今日なお独自の曲調を伝承しているものである。